2008年3月18日(火) 決断

明日への一歩 - 告知

<食道がん>と宣告されました。

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<がん>と宣告されて、病気への不安もさることながら、今後自分がどんな状況に置かれるのか不安を感じました。

<食道がん>の情報や病院、治療法の選択をするにも、専門書以外にインターネット上で公開されている同じ病気の方の闘病記が大変参考になりました。

私も、文章を書くことで、自分の置かれた状況を客観的に観察し、冷静に闘病していこうと思います。


2008年3月18日(火) 決断


午前中、久しぶりにオフィスへ出社。実に実動6日振りの会社。
検査や面談で3日間休んだのに加え、気分が落ち込んだり、検査による痛みでお休みしてしまった。
慈恵医大病院での生検や超音波内視鏡後の痛みはほとんど気にならなかったのに、気が抜けた途端、痛みを感じるようになっていた。

出社するとすぐに、アナリストの取材の予定を聞かされた。
休み中にアサインされたようだが、初耳だった。パソコンが立ち上がる時間もなくミーティング。いきなりスイッチを入れられた状態だった。
取材対応して席に戻ると、なんとも言えない充実感だった。
職場でまだ担える役割があると思うと、本当に嬉しかった。

取材対応、メールチェックをしたら、すぐにオフィスを後に。
駅で夫と待ち合わせをして、電車で国立がんセンター東病院に向かった。

今日の面談は、内視鏡担当の医師だった。
改めて、手術に関するリスクや手術後のQOL、社会復帰の時期、可能な労働について確認する。
そして、最後に手術後の妊娠・出産の可能性について質問した。
内視鏡医は再発の患者を診ることが多いとのことで、実例は知らないということだったが、可能だと思いますとのこと。放射線化学療法の場合は、何らかの影響が出る可能性があるとのことだった。

エビデンスがあるわけでも、断定的な情報だったわけでもないけど、これで手術にしようと最終的に決断できた。
前例がないなら、前例を作ってやろう、ワーキングマザーになってやると、意味なく闘争心が沸いてきた。

手術であれば、国立がんセンター中央病院という選択肢も考えられたけど、更に治療開始に時間が掛かることになるので、転院するのは止めにした。
「手術でお願いします」と伝え、今後のスケジュールについて話し合った。
手術は来月上旬、入院は手術の1週間程前とのことだった。
まだ日程が確定していないものの、ようやく一歩前進した気分だった。

病室の選択について聞かれ、贅沢だけど個室にすることにした。
夫は話し相手がいたほうが楽しいぞ、一人は寂しいぞと言っていたが、大部屋は気が重かった。
入院患者に同世代はほぼ皆無だろうと想像できたし、人見知りも激しい。入院・手術というだけでも特殊な状況なのに、それ以上に他人と一緒の部屋というのは普通の精神状態でいられるか不安だった。

金銭的な負担を考えれば大部屋にすべきだろうと思っていたが、「個室だとネットの使用も基本的に自由」と言われた瞬間、個室しかないなと思ったし、夫もしょうがないなと思ってくれたようだった。
何をするわけでもないけど、できるだけ普段していることができる環境にしておきたかった。
夫は、「治ったら稼げばいいんやん」と言ってたし、それくらいのプレシャーがあった方がいいのかもしれない。

後は、病室が空いて入院できるのを待つだけとなった。



帰宅後、私も夫も、それぞれ両親に報告。

私の両親には、日曜日には考えを伝えていた。
夕食を取りながら、今日の面談で出す答えについて話しあって結論を確認していたが、夫はその後も本当に手術でいいのか迷っていたようだった。
両親と話し合った後も情報を調べ、もう一度検討した方がいいかもと言っていた。元々放射線化学療法を志向していたのもあるし、手術後のQOLを考えると手術で本当にいいのかずっと心配してくれていた。

<がん>という病気が不治の病でなくなったと言っても、その治療法は確立していない。それも治療は一発勝負。
怖くないといえば嘘になるけど、私は覚悟を決めた。
後は自分の選択を信じるだけだ。

義母からは、母に連絡が入っていた。
入院時に付き添ってくれる母に対し、義母も交代で付き添うという提案だったらしい。いろんな人が心配してくれている。この事自体は本当に嬉しかった。

しかし一方、正直負担も感じていた。
遠方に住む義母が付き添うのは大げさ過ぎる。周りが想像以上に大騒ぎしているように感じられたのだ。バチ当たりな話だが、なんだか普段と違うことをされると、それだけ深刻な状況なようで、必要以上に事態を大事にして欲しくなかった。
みんなには普通にしていて欲しかった。
いつもの距離感を保っていないと不安になる感じがしていた。

しかも私自身が常に周りに人がいることを好まなかった。
優しい母は「もっと頼っていいのよ」と言ってくれていたけど、私は普段と変わらず生活していた。母も私の性格を分かっているから、自分からアクションを取ることにしないでいてくれた。
あくまでも普段通りに。

母の付き添いに関しても、想定外だった。ありがたい申し出だけど、一抹の不安を感じていた。
自分の状態がどうなるか分からないから、母に悲しい思いをさせたり、母に当たってしまったりするかもしれないことを恐れていた。

そもそも、甘えてしまって、自分に厳しくいられないかもしれない。
甘えるのは簡単だけど、自分のことは自分でする覚悟がないといけないと思っていた。人間は一人一人自立していなければ、支えあえないと思うから、自分ができることやるのをは当然だし、どんな状況であろうと自分ができることを広げていく努力は必要だと思っていた。
私はアマちゃんだから、頼れる人がそばにいると、強くいられるか不安だった。

自分をしっかり保つ、それが入院の一番のテーマ。