2008年3月30日(日) 入院前夜

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2008年3月30日(日) 入院前夜

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明日への一歩 - 告知

<食道がん>と宣告されました。

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<がん>と宣告されて、病気への不安もさることながら、今後自分がどんな状況に置かれるのか不安を感じました。

<食道がん>の情報や病院、治療法の選択をするにも、専門書以外にインターネット上で公開されている同じ病気の方の闘病記が大変参考になりました。

私も、文章を書くことで、自分の置かれた状況を客観的に観察し、冷静に闘病していこうと思います。


2008年3月30日(日) 入院前夜


明日、いよいよ国立がんセンター東病院に入院。

人間ドックで腫瘍が見つかってから3ヶ月、<がん>と告知されてからも2ヶ月が過ぎた。
ここまでのプロセスは、映画やドラマ、本などからイメージしていた<がん>闘病と全く違ったものだった。
本来一般的なのかもしれないけど、患者としては長かったというのが実感だ。

一番の要因は、幸いなことに自覚症状がない時点で<がん>が発見され、発見が比較的早かったことだと思う。
<がん>発見、即入院・手術という経過を辿らなかったことで、良かった面も悪かった面もあった。

検査通院でスケジュール調整が難しかったものの、抱えてた仕事の責任を果たせたことは良かったと思う。もちろん全ての仕事を全うできたわけではないけれど、引継ぎを含めて対応できる時間があったことは、やはりプラスだった。

ただ、治療が始められないという状況は、相当不安だったのは事実だった。仕事の区切りがつき、緊張感が緩んだ頃、かなり気分が落ち込む時期を経験した。幸いうつと呼べる程の症状ではなかったと思うものの、検査ばかりで<がん>に対して何も出来ないこと、情報ばかりが入ってきて治療方針含めて迷いが生じたことは辛い状況だった。

ただ、長い検査期間、基本的にはいつも通り生活できたことが全体でプラスだったと思う。泣いて過ごすことも、寝付けない日々もなかった。
夫、両親をはじめ、いろんな人が助けてくれたおかげだ。

そして、これまで関わってくれた医師にも恵まれていたと思う。
医師や看護師の態度や言葉などに不信感を覚えたり、医療格差などで患者が漂流してしまうケースを耳にする。

<がん>の患部が医療機関で違ったり、治療方針が変わったり、不安になったこともあるけれど、関わってくれた医師は全員誠意ある対応をしてくれた。

慈恵医大病院の外科医はQOLを心配して治療方針を決めてくれたし、事務的で説明不足に感じられた医師もよく考えれば出来るだけ検査が早く終わるように配慮してくれていたと感じられるし、唯一女性だった内視鏡医は女性らしい気遣いで対応してくれたし、手術を執刀してくれることになっている外科医は患者が安心できる態度で接してくれた。

今、医療問題が取り沙汰され、医師も患者も問題を抱えているけど、私は恵まれた環境にいられたなと実感している。
頑張っている医師や闘病している患者さん全員が救われる環境が実現してほしいと願ってやまない。



「明るくて驚いた」「なんでそんなに元気でいられるのか」「強いね」 etc.
ここ1,2週間、病名(伝えられなかった人もいた)はともかく、私の入院・手術を知った人から言われた台詞。

もちろん、最悪のケースを頭の片隅から消すことは出来なかった。不安になることや、考え込む時間も多かった。
ただ、泣いて過ごすも、笑って過ごすも時間は同等に過ぎていく。同じ時間なら、楽しく過ごす方を選びたかった。

<がん>の成り立ちが免疫細胞の衰えが一因であるならば、映画『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』のように、笑いによって免疫力を高めようと思っていた。笑うだけで病気が治るとは思っていないけど、わけの分からない健康食品や民間療法よりよっぽどましだと思う。

夫もいろいろ調べたせいか、常に私に「笑え、笑え」と言ったり、「<がん>細胞をやっつけるイメージトレーニングをしろ」とか、私を勇気付けてくれていた。だから私は、無理せず普通でいられた。

あまりに楽観的な話ばかりする娘に対し、人生の先輩として父が戒めることが何回かあった。例えば「食道を切除してしまえば今まで通りの生活は難しいかもしれないな」とか、「治療期間が長くなれば、職場は待っててはくれないぞ」とか。母も手術後にどうなるのかとか、今から心配してもしょうがないこと、患者である私には分からないことをよく質問してきていた。

本人以上に、両親は不安の中にいたいと思う。
両親の態度や言葉に正直傷ついたこともあったけど、それ以上にそんな気持ちにさせていることに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
だから余計に両親の前では、明るくいようと思った。
前向きに闘っている私を両親にも感じてもらえるように頑張らなきゃ。いつでも明るく過ごしていたいから。

「親というのは、常に心配するもんなのだろう」と夫婦で話し合った。そういう気持ちを心から理解できる日は来るだろうか?

どんなに心配してくれても病気が治るわけではない、代わってあげたいと願ってくれたとしても代われるわけではない。家族だから、誰か他の家族が<がん>になった可能性があるなんて考えるのもナンセンスだし。
結局病気は患者自身が向き合っていくしかないわけで、支えてくれる家族には悩んでほしくなかった。陰の周波は、陰を呼び込む。幸せオーラを出して、病気を退治するだけだ。たぶん、鬼退治のイメージで。

夫は「頑張れ」とは言わず、「頑張ろうな」と常に言ってくれていた。「大丈夫やで」とも。客観的な事実は話し合ったけど、不安な話は一切しなかった。「来年はどこに行こう」とか普通に話をしていた。一緒に闘ってくれている感じがして、心強かった。

いまだに自分の気持ちを的確に表現する言葉が見つけられないけど、どんな状況になったとしても、それは私の運命なんだと感じていた。
私自身がまず、ポジティブに生きていこうと思う。