2008年5月1日(木) 手術1ヵ月後検診

明日への一歩 - 闘病

<食道がん>と宣告されました。

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入院、手術を経て、現在自宅療養中です。
手術は無事成功し、医師からは治療は終わったと言われました。

これからが、本当の意味での<がん>との闘いです。
リハビリでどれくらい自分の体力が元に戻るのか。手術後の後遺症がいつ癒されるのか。そして、今後の経過はどうなるのか。
不安なことはたくさんあります。

自分らしくいるための、自分との闘い。
文章を書くことで、自分の置かれた状況を客観的に観察し、冷静に闘病していこうと思います。


2008年5月1日(木) 手術1ヵ月後検診


手術から1ヶ月、退院から2週間が経ち、今日は退院後始めての外来。
血液検査、レントゲン検査の後、主治医との面談。

「リハビリ大変だったでしょ」と、これが主治医の第一声。
「大変だったけど、頑張りました」という話す私を見ながら、医師は微笑んだ。
リハビリについて、これ以上聞かれることはなかった。
きっと、これが今日までのリハビリに成功した証だと、勝手に解釈した。

その後、血液検査、レントゲン検査の結果が問題ないことを告げられた。
ただし、残念ながら胸水は手術後より溜まっているとのこと。
投影されたレントゲン写真を見ると、素人目にも明らかに片肺が小さい。

リハビリ中、ほとんど息苦しさを感じていなかったから、勝手に肺に水は溜まっていないものと解釈していた。今日で食事制限は無くなるものと思っていたから、この結果は正直残念だった。

医師に息苦しさを確認され、今日は溜まった胸水は抜かないことになった。
水を抜いた時の呼吸のしやすさを考えれば、抜くという選択肢も実はあったけれど、今回は、抜いた後の体力の消耗の方が心配だった。
せっかくここまでリハビリを頑張ってきたのだ。邪魔されたくなかった。

そして、手術時に取った組織の病理検査の結果を聞いた。
<がん>のステージの最終判断。結局、当初の診断通りStage Ⅰとのこと。がんの深さ(T)、リンパ節への転移(M)、周辺臓器への転移(N)は、T-1、M-0、N-0だった。

<がん>の種類は、<食道がん>で最も一般的と言われる<扁平上皮がん>や、<腺がん>ではなく、アメリカでは<扁平上皮がん>から分化したと分類されている<類基底細胞がん>と説明された。特殊な組織型の<食道がん>だった。
国立がんセンターが扱った症例でも、1,000件以上の<食道がん>の中で、<類基底細胞がん>は18例とごく稀なケースらしい。

特殊な組織型の<食道がん>は、残念ながらリンパ行性や血行性の転移が早く、<類基底細胞がん>は遠隔転移が早いらしい。「1年が目安です」とのこと。<進行がん>だったら、追加治療として抗がん剤治療が必要らしかった。
しかし、最初の面談の時に子供を望んだこと、早い段階で患部を郭清できたということで、追加治療は最終的に必要なしとなった。
<がん>治療に100%はない。けれど、医師を信じようと思った。

<類基底細胞がん>について調べると、「上皮下に腫瘍があり、表面に露出している癌巣部分が少ないため、早期癌の段階で発見することは困難であり、発見時点で既に粘膜下層以深に進行していることが多い」との記述があった。(医学書院ライブラリーHPより)

これを読んで、早い時期での発見がいかに幸運だったか改めて思った。

ともかく、ほぼ順調に回復しているようだった。
1ヵ月後の外来と、次のCT検査の予定を決めて、今日の外来は終了した。

退院から今日まで、リハビリは大変と実感する毎日だった。

自宅療養が始まって、毎日の日課として自分に課した課題は4つ。
散歩すること(出来れば8,000歩以上)、6食(主食+間食)をきちんと取り食べる量を増やすこと、入浴すること、家事をすること。
医師に言われた通り、「体を動かすこと」「きちんと食事を取ること」が生活の中心だった。

正直、この2週間、私には「明日」はなかった。
日々、自分に課した課題を守ること、体調管理だけで精一杯だった。



「体を動かすこと」=散歩は、想像していたより厳しい課題ではなかった。
なにより、家族が毎日付き添ってくれたことが大きい。
体調が不安定な時、弱気になる自分がいたけれど、散歩の効果は絶大だった。最初の1週間は、「二進一退」という感じだったけど、リズムが出来ると「日一日」と体力が回復しているのが分かる。

手術痕や肋骨の痛みや違和感が常にあり、見かけ以上に体への負担は大きかったものの、この1歩が回復に繋がると信じることが出来た。「こんなに頑張っているんだから、神様は見捨てないはずだ」と祈るような気持ちだったという方が近いかもしれない。

「体を動かすこと」より、「きちんと食事を取ること」の方が大変だった。
体力が回復してくると特に、食事や就寝の時に悩まされる咳、再建した食道の違和感が気になるようになった。
回数はそれ程多くはなかったものの、何でもない食べ物がのどに詰まった。
食事は、リハビリ中で最大の修行の時間だった。

幸いのことに手術で味覚が変わることはなかった。リハビリの後半は、ほんの少しづつだけど、空腹感も戻ってきた。
しかし、手術前の満腹感と違い、食べ物が胃に達してくると、なんとも言えない違和感があった。そして、いつ食べ物がのどに詰まるかという不安と恐怖。
一人で食べる朝食と昼食は、何度その不安と恐怖に挫折したか分からない。食事制限まではと、母がサポートしてくれた夕食が「きちんと食事を取ること」という課題をクリアできた時間だった。

咳やのどの違和感は、残念ながら本人の努力ではどうにもならない問題だった。「時が解決してくれる」と信じて、惨事が通り過ぎるのをじっと耐えた。

日々の課題、食後の安静、体調不良との闘いで、入院の時以上に自分がやりたい事をする時間、自由時間がほとんどなかった。それに、医師が指摘していた通り、思うように集中力が続かなかった。 こんな状態で社会復帰ができるのか不安になった。一人で居るときは、当然のようにいろんな不安、悪い想像、次々といろんな思い、考えに襲われた。

そんな日々でも、なんとかリハビリを続けて来れたのは、何よりも家族の支えがあったからだ。それでも、正直、家族の言葉で傷つくこともあった。
何より、患者自身が一番病気と向き合い、不安に思っている中、家族が不安を私に口にすることがあった。患者本人が口にする不安と、家族が口にする不安の意味合いは大きく違う。

私が家族を不安にさせている原因だ。だから本来何も言えない。正直、私には家族の苦悩は分かっていないと思う。患者の我がままだけど、支えてくれる家族には、常に励ましてほしかった。私が不安を口にしても、将来への不安があっても、「すべて大丈夫」と片付けてほしかった。
患者自身が一番不安に思い、それでも明るい明日を信じ生きているのだから。

退院前の医師との面談の時、「リハビリで一番怖いのは、患者の落ち込みやうつになってしまうこと」と言われていた。何気ない言葉が、患者を追い詰める。家族の不安が、一番私を落ち込ませた。

この2週間、家族の支えが一番大きい。感謝してもし尽くせない。
でも、だからこそ、この日記を公開した趣旨から敢えて書こう。
もし、同じ境遇の家族がいたら、不安を隠し、見守ってあげて欲しい。
そう、夫のように、手術前と変わらず接してあげて欲しい。

今は、まだ、痛み止めと睡眠薬なしでは寝ることも出来ない。
体調不良と、自分の心の弱さで、なんでもなかった日常生活の一つ一つが障害になっている。
こんな生活で「生きている」意味を考える。

答えなんか出ないけど、私は前向きに生きていきたいと今でも祈っている。